世間では、デキナイから悩む、という人もいれば、「デキル」からこそ悩ましい、という人もいます。例えば、人よりも能力が優れてて、他人よりもいち早く気づいてしまう。いち早く気づくし自分でできるからこそ、パパッとやっちゃう。それをやり続けていると、不満が募ります。「なぜ自分ばっかり?」・・・ほかの人がボンクラに見えてきて、イライラします。また、デキナイ人ほど、誰かに甘えたり助けてもらったりするのが上手だったりするので、余計イライラするのです。
こういう方が、「律義さ」や「義務感」も同時にもっていると、さらに自分自身を追い詰めることになります。気づいたら気づいた人がやるべきだ、できる人がやるべきだ、みたいに思うからです。
このタイプの方は、「無能である」ことについて、根源的な恐れを持っていたりします。「無能である」ことの痛みを誰よりもよく知っていて、それを恐れるがあまり、そうならないように努力してがんばって能力を伸ばしてきたのかもしれません。
だからこそ、自分が役に立たないっていうシチュエーションは避けたいし、他人の無能をみてられないのです。辛くなってつい手をだしたくなってしまうのでしょう。
「自分は無能であってもいいし、人の役になんてたたなくてもいいんだ。」
そう心の底から思えたら、感覚がちょっと変わってくるんじゃないかと思います。必要以上に他人のものまで背負って苦しくなるんじゃなくて、自他の境界線をしっかり引きながら、自分が発揮したいところだけに能力を発揮していく、という方向へいけるんじゃないかと思います。それは、まさに、自分の能力を好きな方向へ最大限に発揮していく、もっとも自分にとって心地よく、喜びとともに力を出していける状態かもしれません。
デキルからこその悩みの方は、ぜひ、そんなことを意識してみるといいんじゃないかなと思います。デキル人が手を抜いたら、それまでデキナイ人ががんばってやっちゃう、周りの人が成長するっていうこともよくあるのですから!
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