コーチングと成人の意識の発達段階
成人の意識が発達する、という理論は、私がプロコーチ塾を開催してくるなかで導かれるように行き着いた世界です。意識が発達する・・世の中には、なんとなく子供っぽく、短絡的で極端な単純さがある人もいれば、頼りがいがあって成熟した感じの人がいて、それを私たちは直感や感覚でかぎ分けているのではないかと思います。
それが、単なる性格の違いかといえば、(気質の違いとか、それも確かにあるのですが・・)実はそればかりではなく、どこまで意識が発達しているか、という差が生み出しているもののようです。そしてそれは、実年齢とはあまり関係がないようです。
ロバート・キーガンの発達理論によれば、成人の主な意識の発達段階は、大きく段階2~5(段階1のまま成人の人はほとんどいないとされます)で、割合は、段階2にあたる方が全体の約10%、段階3が70%、段階4が20%、段階5が1%未満にあたるそうです。ちなみに、どの段階も、「含んで超える」という特徴があるので、段階が上がれば下の段階がなくなるわけではなく、超えた段階の意識状態に共感することもできれば、状況や場面によって重心のおかれる意識段階がうごく、ということも起きます。 だから、ムラがあるのです。ということを踏まえつつ、 それぞれの段階について、学んだこと、そして私が感覚的につかんだことを書いてみたいと思います。
発達段階2-自分中心の世界観
発達段階2と呼ばれる段階に意識の重心(通常この段階にいやすい、という意味です)がある人は、自分の欲求や願望が最大の関心ごとです。その自分中心の思いに縛られていて、他人のことや周りの決まりごとなどに無関心だったり、大切にすることができません。外からみてどうなのか、に思い至ることができていないので、とかく他者は自分の欲求をかなえたり、助けるための道具のようにとらえてしまいます。なので、この段階は、「道具主義的段階」とも呼ばれます。たとえば、「出世のためなら他人を蹴落としてでも手段を厭わない」、という自分中心的なマインドは段階2的な発想です。
また、視点を多く持っていない分、葛藤が苦手で、白か黒か、のようなパキっと割れた世界観をもっています。いい人だ!とさんざん支持していたのに、自分にとって都合が悪い点が見えると、突然悪い人だ!になってしまうといったような・・手のひら返し、とかご都合主義とかよく言いますよね。あんな感じかもしれません。誰かが何をした、という物理的なことはわかっても、その人がどんな気持ちでやったのか、内面まで思いを馳せられません。徐々に、人の気持ちに気づいたり、コミュニティの視点から影響を受け始めると、葛藤をかかえつつも次の段階が開けてきます。
この段階の人の発達支援するなら、自分以外の人が、どんな気持ちか?どんな意図をもっているのか?自分に何を期待されているのか?をわかろうとするような問いかけやかかわりをしていくことで、自分か?他者か?などの葛藤を通しつつ外の視点をもてる意識段階へひらけてきます。段階3です。ちなみに、段階2から3まで(3から4、5から5の間も同様に・・)は、もう少し細かく分けると2、2(3)、2/3、3/2、3(2)、3という、間に4つのステップがあります。
ちなみに、先日すばらしい対話だと話題になったベッキーと中居君の対談は、段階2的な方やテーマへの支援として参考になります。あの文脈で言えば、段階2的なベッキーの視点(枠を超えてでも自分がハッピーになりたい)から、段階3的な視点(奥さんや他人の気持ちも考える)へ、引きあがっていったという図式になります。(彼女の意識の重心がいつも段階2というわけではなく、あの文脈を切り取れば、という意味です)。決まりは守らねばならない、相手の気持ちを考えなければならないというのが、段階3のテーマです。あの対談を見て安心感を得た方は、段階3的な感覚を主にもっているのかもしれません。
発達段階3~外の世界から影響を受ける。Meから、We世界へ。
段階3は、「他者依存段階」と呼ばれます。成人のだいたい7割の方が、意識の重心をこの段階に置いているとされているので、既存の社会の空気、会社組織やコミュニティが、多かれ少なかれこの段階の香りを有しているのではないかと思います。この段階にくると、他者の視点や他者の期待、評価が一番の関心ごとになります。自分がどう思うかよりも、他者がどう思うか、慣習的にはどうか?のほうに意識がいってしまい、そこから切り離して決断していくことが難しくなります。
また、決まり事に従順で忠実なぶん、そこから外れたり、集団から疎外されることを恐れるので、「優秀なのに上司の指示待ち」のように映ることもあります。「普通はxxでしょう?」「上司がxxというからやりました」は、段階3的です。決断のよりどころが常に外にあるので、被害者的にものごとをとらえがちです。「よき市民」は、段階3の雰囲気をよく表している言葉です。
自分で考えず、空気で・・・よく観察すると、マスコミやマーケティングの多くが、この層へ響くアプローチを採用しているのではないでしょうか。いろいろなしくみがこの段階をベースに作られていると考えられるため、安住するとスムーズである意味楽なので、次の段階へいくには自助努力が必要になってくるようです。外からの視点ではなく、少しずつ自分の視点、それも自分勝手な段階2的な視点ではなく、自分なりの価値観をもてるようになり、その価値観を大切にする、価値観から決断し行動していく力がついてくると、段階4へ開けてきます。
ちなみに、段階3がら4へ移行するフェーズには、一般的なコーチングの関わりが有効のようです。問いかけを通して、その方が本当はどう思っているのか?外の視点をそのまま採用するのではなくて、コーチに問われながら、自分なりの考え方や価値観、視点を語れるようになってくる。それを軸にして行動をしていくことを試したり繰り返すことに、コーチから背中を押されることで、発達段階4へ移行していく力が身についてきます。自分軸の段階、それが段階4なのです。
ここで気がつくのが、段階2へのアプローチと段階3へのアプローチです。段階2へのアプローチは、外からの視点へ意識を向けてもらう、段階3へのアプローチは、自分の視点に意識を向けてもらう・・ ”真逆” です。相手のテーマがどういった段階から来ているテーマなのか、を見立てずにセッションをすると、退行させてしまうこともあるので、仮説として、段階を見立てておくのが大切と思っています。ただ、人の成長は行きつ戻りつだから、退行や立ち止まりが悪いわけではないのですが。
発達段階4~自分軸でクリエイティブに生きるステージ
段階4は、「自己主導段階」とも呼ばれます。自分はこう考える、こう思うという自分なりの視点や価値観を意識でき、語ったり行動できてくる段階です。これができているということは、複数の視点を意識しながら、自分としてはどうしたいのだろう?どう思うのだろう?と、自分で自分に問う力があってこそです。自問自答ですね。よく、「自分軸で生きる」とか、「ありのままの自分を生きる」、とかいう言葉が言われますが、この段階にきて初めて、そういったメッセージが正しく受け取られ、役に立つのだと思います(段階2でありのままを生きたら、かなり迷惑な人ですし、段階3で自分軸と思うものは、書籍や人の意見の借り物でしかありません・・)。
ここにきて初めて、自分なりのやり方を見つけながらプロフェッショナルとして何かを達成していくことができます。そして、この段階でやっと、自分や人を律することができる、そして何かの受け売りではない、イノベーションを起こしたり創造する力のあるマネージャーやリーダーになるようです。 限界として、段階4に重心がある人は、自分の意見や価値観をしっかりもち、持論を語れる。だからこそ、それと自分自身が同一化してしまっていることが多いようです。なので、会議などで自分の意見を主張できたとしても、それを否定されると、まるで自分自身を非難されたような気持になり、自分の価値観の枠内でしか、他人の価値観を抱擁することができないので、違う意見に対して受け入れなかったり、非協力的になってしまうかもしれません。方向性が一緒なら手を組むけど、そうでないなら、線を引く。みたいな感じでしょうか。
コーチングにおける「人生の目的」を見つけてそれに沿って行動したり、リーダーシップで、ステークを握りクエストを遂行するというのは、この段階に向けたものであるように思います。ある意味既存の枠を超えて、それぞれの内側にあるものを軸にクリエーションしていくわけですから、様々な困難や葛藤とも対峙していく辛さがあるでしょう。ただ、従来の価値観に疑問を投げかけ変化を作り出していく、そんな段階4の人たちが多く育つことは、変化が激しい今という時代、組織やコミュニティにより必要とされていることなのだと思います。段階4へ人々を導き、その生きざまを支援する・・現代におけるコーチングの存在意義も、まさにここにあると思っています。
発達段階5~宇宙の流れとともに生きる、真のリーダー
段階4を超えた、段階5に意識の重心がある人は、成人人口の約1%未満と言われています。 この段階は、「相互発達段階」と呼ばれ、自分や他者との間で「変容」を促していくことに向かっていきます。普遍的な利益の追求とかいったものを超えた、もっと高次のところを見つめてリーダーシップを発揮すること。それは自己や他者の成長への道であることと認識している、そんな段階です。この段階の人にとっては、自分の中にある価値観も含めて、どんなものとも同一化しておらず、距離がとれています。そして、常に新鮮な目で外に開かれていて他者との交流を積極的にもとめつつ、それを自分や他者の変容の機会にしていくようです。
どんなものにも同一化していないからこそ、この段階の人はとても開放的でおおらかな空気をもっていて、かつ柔軟です。必要であれば自分の価値観も、人間的な弱さですら自分や他者の変容のために差し出し、さらけ出す力があります。謙虚であり、複眼的であると同時に深い洞察力をもち、本音も弱さも場にさらけ出す力があり、知らなかった領域に常にオープンでありながら自分自身の枠組みをや限界を更新する。なおかつ高次の目標をかかげ凄まじい決意も同時に持てる、「真のリーダー」ともいうべき人たちです。
多くの視点を同時にもつことができるので、あいまいなものや矛盾を抱えられる力が高いぶん、相反する意見を統合していったり、組織やコミュニティ全体を真に成長させていく力があります。世に言う名経営者といったような方々は、主にここに意識の重心を置いている方が多いのではないかと思います。
よく、コーチになるからにはエグゼクティブコーチになりたい、とか経営者のコーチになりたいという声を聴きますし、養成するスクールやコースなど見かけますが、指摘したいのは、基本的に「自分の段階までの人しか、発達支援はできない」という点です。どれほどの方が本当にエグゼクティブに向けて本当に役立つコーチングができるのか、また実績がだせているのか。この点は検討されるべきものではないかなと思っています。
段階2から5までざっとまとめてみました。段階は、意識の「重心」と書いたように、いつもいやすい意識段階のところがその人にはあって、シチュエーションによって重心は動きます。例えば、家族と一緒の時は段階2で、会社では段階4である、など。なので、一概にこの人の発達は段階●●だ、と決めつけるのは難しいのだと思いますし、人それぞれ、その段階の良さも、その段階だからこそ発揮できる能力もあって、低いのがいけないとか、高いほうがいいとか言ったことも単純に言えるわけではありません。ただ、コーチとして、あるいはそれ以外として、「成長したい」という人の支援をしているのなら、自分自身がどの段階までの意識段階を実感として分かっているのかを知っておくことは大事だなぁと思います。自分よりも高次の段階にいる人の感覚を理解するのは困難ですし、ましてやそういった方の発達支援としてのコーチングは機能しないからです。ぜひ、対人支援のスケールとして、発達理論を役立ててほしいと思います。
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