疲れたときに立ち寄りたくなる。一杯のコーヒーをいただくように、読んで心が楽になって、あー、なぁんだ、そうかって腑に落ちる、元気や希望が湧いてくる。そんな、カフェのようなコーチングコラムです。いつでもふらっと立ち寄って、気になったところを読んでみてくださいね。記事は随時更新しています。
今受けている、悟りのコース、Finders Courseで定義されている4つのロケーション。
その最初のステップ、ロケーション1について。
特徴のうちいくつかをご紹介すると、下記のような感じです。
●Fundamental Okayness (基本的に、すべては旨くいってるという感覚)
●ネガティブな感情は起こるが、ネガティブ感情を引き起こす体験のなかに深く入り、大丈夫である、という感覚をつかむことができる。
●Narrative self (思考の声)の影響を受けにくくなる。それが真実ではないことに気づく。
●感情の影響が減る、Narrative self (思考の声)と距離がとれるようになることでマインドが静かになるように見える。
●真理を探し求めるものに終わりが来たように感じ、真理を体験しているように感じる。恐れはNarrative self(思考の声)から発していたものであると気づき、場合によっては死の恐怖すら含めて鎮静化していく。
●より「今」にフォーカスが当たる。自らの「物語」に関心がなくなるのにしたがって、記憶は、意図的に浮かび上がらせることはできるが、自動的に上がることは減少する。
●自分や他人のあらゆる物語に関心がなくなるにしたがい、それまで関心を持っていたニュースやドラマにも関心が薄くなる。
このロケーションがいわゆる「悟り」といわれる状態の最初の段階となるようです。
私自身は、このコースを始める前からここの特徴は割とあったように思います。
それは、コーチングでたくさんの人たちの思考を外していく、ということをサポートしていたから、そして自分自身の闇に向き合い続けていたからだと思います。
実際には、このロケーションに入れる人は、特別な条件があるわけではなくて、様々な状況にある人がリーチできるようです。
あんまり頭の声に振り回されなくなり、それによって、問題を問題視しなくなってくる。
そもそも問題っていうのは、頭が「問題だ」とジャッジすることによっておこることですしね。
ありのままをありのまま受け止められるようになってくる、という感じでしょうか。
そして、すべてはうまく行っている・・そういう、理由のない安心感。
そういう感覚が日常化してきていたら、悟りへの一歩に入ってる自分を発見しているのかもしれませんね。
実際のコースでは、かなり長い瞑想や、特別なワークを日々こなしていくことで、よりこの感覚を日常に感じられるようになってきます
いわゆる、「悟り」という状態~ここでは、宗教的な色合いを避けるために根源的幸福感と表現されたりしますが、それがどんな状態なのか?が研究によって明らかにされつつあります。
Jeffrey Martin博士の研究をもとに書かれたThe FIndersによれば、悟りには以下の4つの段階(それ以上もありますが、研究対象の母数が少なく、ここでは取り上げられていません)があります。
それぞれの段階は、ロケーションという表現がされています。ロケーションっていうと、それぞれの違った景色や気候の国を訪れるみたいで感性から理解できる感じがしますね。
一つ一つのロケーションについては、この後の記事で表現していきたいと思いますが、まず全体を俯瞰してみるとするならば、ごくシンプルに言えば「幸福感」がグングンと増してゆくプロセスになります。
コーチングでは、様々な思い込み、思考の枠組みを外し、イリュージョンである恐れを超えていきながら、本当の願いを生きる、というプロセスをたどるわけですが、ファインダーズに重ねて言うならば、「思い込みを作り出す思考の声」(FindersではNarrative Selfと言っています)がどんどん静まってゆき、ついにはほとんど起こらなくなってくる。
その結果のひとつとして、幸福感が増してゆくということになります。
以前、ジル ボルト・テイラーという脳科学者が、脳の以上で左脳がほぼ働かなくなったときに、ものすごい幸福感やワンネスを体験したということを報告されていましたが、思考で止められている先には、限りない幸せや幸福感があるということなのでしょう。
思考を超えた幸福感が高まってくると、これはパラドックス的ではありますが、逆にパフォーマンスが高まります(一部では社会生活の文脈から外れてしまうことはありますが)。
グーグルやマイクロソフトなど、先進的なものをクリエイトする企業が率先してマインドフルネスを取り入れようとしているのには、こんな理由があるわけですね。
私自身、10月からFinders Course(4か月で約7割の受講者が根源的幸福感を得られる状態になるというコース)を受け始めて今で3か月目に入りましたが、なかなかに大きなインパクトを感じています。
それはまたおいおいご紹介してゆきますね。
リンダ・グラットン博士の「LIFE SHIFT」に書かれていますが、
100年という生涯。
かつて過去の時代にない、長い長い時間の人生を、多くの人は送ることになりそうです。
しかも、ITやAIや、医療も含めて技術の進歩が半端なく速い。
まだ見ぬ未来は、きっと想像をはるかに超えるのでしょう。
地球環境は危機的だとか、色々言われていることはあるのですが、私はとても希望に満ちているんじゃないかって思っています。
遺伝子治療で、肉体が20歳も若返ったっていう、エリザベス・パリッシュさんの話もとても驚きですが、本当にリアルにそういう時代になってくるのかもしれません。
そして、大事なのは、その100年を、どんな時間の積み重ねにしていくのか?ってこと。
それだけの時間があるならば、あきらめていた夢をや叶えられるかもしれません。
仕事は、長期スパンで考えて、思い切りの下積み生活や学習期間を存分やっても、それをちゃんと活かしていける時間は充分あります。
会社を辞めて好きなことで起業するっていう経験も、もっと自由にできる。
成功したらそれは素晴らしいし、失敗してもその経験を活かして挽回する時間は、山ほどあります。
別れた恋人たちは、また新たなステージで出会いなおすこともあるでしょうし、
無理して夫婦をやっていたカップルは、残りの長い人生を見据えたときに、もっと自由に関係を解消できるようになる。
無理し続けるには、あまりにも長いのだから(*_*)
100年人生は、チャレンジと希望と、ますます自分らしさを生きられる、そんな時代なのだと思います。
よく言われることではありますが、物事には必ず、どんなことであっても、いい面と悪い面があります。光の裏側に闇があるように。これは、「光だけ見る」という努力をしても、闇がなくなるわけじゃなくて、ただ闇が見えなくなるだけだ、ということです。ポジティブ思考の落とし穴はこんなところにあります。闇に眼をつぶり続ける間は、実は常に恐れとともにあります。
何かがとてもうまくいっているとき、同時にそこにどんなリスクがあるのか。もちろん、そこにとらわれすぎる必要はありませんが、それもどこかで意識したり受け入れておくといいのだと思います。
大きな事業をなす人は、必ずそれに見合ったリスクを負います。リスクを怖がっていると動けなくなるので、リスクがあることをしっかりと認識し、いざとなったらなんとかするという覚悟で動きます。だからこそ大きなことができるのです。
大好きな人に告白をしたら、うまくいくかもしれませんし、断られるかもしれません。そのリスクを承知のうえで告白しないと先には進めませんし、断られるリスクを無視して実際に断られてしまったら、かなりの痛手を負うでしょう。
どちらか一方だけじゃなくて、両方あることを認め、受け止めつつも、でも進む、ということを心がけると、心が強くなります。強い心は折れづらく、平安を保ちやすくなります。まずは小さなことから、、この選択のいい面と悪い面はなんだろう?それを意識してみる習慣をつけてみるといいと思いますよ。
コーチングでは、望む未来の話や、想いについて語っていただくことも多いのですが、今まで人に語ったことのないレベルの本音も、話されることがよくあります。それは、人に言っても仕方がないとか、どうせ理解してもらえないだろう、とか、間違ってるに違いない、とか、そういう理由で心の奥深くに蓋をしてしまっていることです。
ずっとしまわれていると、すでにその人にとってすでに必要がなくなっている、もはや現実に即しない思い込みであったとしても、出口がなくて心の中にため込まれ、だんだん心が窮屈になっていきます。
こうした、心の奥にあるものは、否定されず、受け止めてもらえる環境で初めて人に話すことができます。そして、私は、「話す」は「放す」だと思っています。つまり、話して言葉にすること、そして人に受け止めてもらうことで、はじめて手放すことができたり、新しいエネルギーに変わります。
心のなかに、たーくさんの、ごみのような不要なものが溜まってるとしたら・・それって窮屈そうですし、外に何か臭ってきそうですよね。
だから、セッションでたくさん話して、たくさん放してみてください。心がきれいに、そして軽くなりますよ!
「上司の命令だから仕方なく従った」、「周りの人に反対されたからあきらめた」、「親に虐待されたから、こんな生き方しかできない」・・・外側の世界、他人の言動への「反応」を行動の軸にしてしまうと、多くの場合、「犠牲者」になってしまいます。これは、自分で自分自身のパワーを、自分以外のものに明け渡してしまっている状態です。
つまり、「反応で生きる」と、とても不安定で、パワーレスで、怒りや無力感を抱えた犠牲者的な生き方になるということです。
もちろん、外の世界に反応するのは仕方がありません。生きている限り、、心や願いがある限り、外の世界にはちゃんと反応します。怒りや憤り、悲しみ、ネガティブな反応が起きることもあります。
大事なのは、その反応を超えて、自分に立ち戻って「で、どうしたいのか?」をちゃんと選択できていることです。これを、自分軸の生き方、とか、クリエイティブな生き方、と表現すると近いと思います。
ちゃんと自分の軸から、その状況において「自分はどうしたいのか、どうありたいのか」に立てている人は、犠牲者ではなくて、「自分の人生を生きる人」です。
今この瞬間、反応で生きてるのか、自分の人生を生きているのか。望み通りの人生を切り開いていくためのカギは、こんなところにあると思っています。
これまで日々やってきた仕事に、何かもう違和感を感じてしまう。それは、「やっぱり向いていないのかもしれない」とか、「こなせることではあるけれど、10年先もこの仕事を続けていたいたいとは思えない」とか、そういう感覚。こんなとき、多くの人が、自分は本当は何がやりたいのだろう?と、自分探しや、天職探しを始めます。
そして、多くの人が、新しいことをいくつか初めて見たけれど、どれも続かないで、結局中途半端なところでやめてしまう、という状況に陥ります。そこで、やりたいこと探しを諦めてしまう。今までの日常にすごすごと戻っていく。。
こんな時、おすすめは、「気にせず、種を撒き続けなさい=新しいことに手を伸ばし続けなさい」です。自分の中には眠っている可能性は必ずあるのですが、それが何かはワカラナイ。だから、やりたいことがわからない間は、できる限りたくさんの種を植えてみたらいいと思うのです。沢山、沢山撒いた中から、たった一つでも「育つ」芽がでてきたら、もうけもの。それくらいに構えて、あきらめずに自分の中に沢山の種を撒いていったらいいと思うのです。
振り返ったときに、気づかないうちにたくさんの芽が出ていて、それが一本の大木に統合されてきた、というプロセスもあります。まるでトトロの森のように、色とりどりな、才能豊かな自分になっているかもしれません。
だから、あきらめずに、種を撒き続けてくださいね。
いきなり、「あなたは何者ですか?」と聞かれても、「は?」となる人がほとんどだと思います。その問いに対して、いろんな答えがあるでしょう。「私は、社長です」「私は会社員です」「私は母親です」「私は学生です」・・・ただ、これはだいたいが、「役割」です。自分自身の身分であり、社会的な立場を表します。こういった役割は、ペルソナとも呼ばれますが、役割としての自分であり、自分自身の本質とは違います。
「あなたは何者か?」
人生ってその問いに答え続けていく中で、自分は○○する人である、という本当の自分を見つけていく旅なのかもしれません。そして、自分は○○する人である、という、自分が何者かをしっかりと握れてくると、人生はもっと軸がしっかりとして、揺るがない自分自身になっていきます。
ちなみに、私自身は、(人が魂の願いとつながりながら生きることを願い、助ける人)だと思っていますし、それは、いちコーチ、いちセラピスト、いち母親を超え、もっと本質の部分にあって自分のあり方を貫いているものです。そして、そんな私は、「あなたは何者か?」に対する答えを、一人ひとり、だれでもが必ず持っているものだと思っています。
その方が経営者であっても、母親であっても、その奥にある、もっと本質的な「何者か」。それを見つけていくことが、コーチングであるとも思っています。
優しく経済的に恵まれた両親のもとに生まれ、素敵な友達に囲まれ、学力優秀でスポーツも万能、何の悩みもなく、異性にもてて、希望の会社に入り、狙い通りのポジションで大活躍し、非の打ちどころないパートナーと結婚、望んだとおりのいい子供たちに恵まれ、悩むことなく人生を過ごし切りました・・・
書いちゃうと笑っちゃうくらいですが、こんな人生を、多くの人は無意識に望んでいるのかもしれません・・でもこんな人生、全く面白くないと思いませんか?
人生には、困ったことや思い通りにならないこと、悲劇や苦悩がやってくる。恋やお金やポジション、希望、想定してた未来を失う、窮地に陥ったところから、血相変えて本気で頑張って超えると、もともとの自分よりも一段も二段も成長していて、一段も二段も成長したところから、また新しい景色、新しいチャレンジが待っている・・・
こっちのほうがよっぽど、人生の醍醐味があるのだと思うのです。失敗し、想定してもいなったような状況から、どう立ち上がるのか、どう切り抜けるのか。
多くの人が、失敗して想定外の状態に陥ることを恐れていますが、実はそこからが本当に面白い、生きる甲斐のある人生が始まります。だから、失敗を恐れるのではなく、むしろウェルカム!くらいで進む。その生きざまの中に、苦しみにしっかりと裏付けされた喜びがあるし、人にも勇気や影響を与えるのだと思います。
失敗して落ち込んでいるあなた・・・ここからどう這い上がるか、どう超えるか、ここからが面白いところですよ!たくさん落ち込んだら、顔を上げましょうね。むしろここからが醍醐味です。
失敗することが怖いあなた・・・思い切って飛び込みませんか?失敗を重ねてすらいないなんて、もったいない!!あなたの人生まだ始まっていないも同然ですよ!!
世間では、デキナイから悩む、という人もいれば、「デキル」からこそ悩ましい、という人もいます。例えば、人よりも能力が優れてて、他人よりもいち早く気づいてしまう。いち早く気づくし自分でできるからこそ、パパッとやっちゃう。それをやり続けていると、不満が募ります。「なぜ自分ばっかり?」・・・ほかの人がボンクラに見えてきて、イライラします。また、デキナイ人ほど、誰かに甘えたり助けてもらったりするのが上手だったりするので、余計イライラするのです。
こういう方が、「律義さ」や「義務感」も同時にもっていると、さらに自分自身を追い詰めることになります。気づいたら気づいた人がやるべきだ、できる人がやるべきだ、みたいに思うからです。
このタイプの方は、「無能である」ことについて、根源的な恐れを持っていたりします。「無能である」ことの痛みを誰よりもよく知っていて、それを恐れるがあまり、そうならないように努力してがんばって能力を伸ばしてきたのかもしれません。
だからこそ、自分が役に立たないっていうシチュエーションは避けたいし、他人の無能をみてられないのです。辛くなってつい手をだしたくなってしまうのでしょう。
「自分は無能であってもいいし、人の役になんてたたなくてもいいんだ。」
そう心の底から思えたら、感覚がちょっと変わってくるんじゃないかと思います。必要以上に他人のものまで背負って苦しくなるんじゃなくて、自他の境界線をしっかり引きながら、自分が発揮したいところだけに能力を発揮していく、という方向へいけるんじゃないかと思います。それは、まさに、自分の能力を好きな方向へ最大限に発揮していく、もっとも自分にとって心地よく、喜びとともに力を出していける状態かもしれません。
デキルからこその悩みの方は、ぜひ、そんなことを意識してみるといいんじゃないかなと思います。デキル人が手を抜いたら、それまでデキナイ人ががんばってやっちゃう、周りの人が成長するっていうこともよくあるのですから!
最近は、「頑張らなくていい」「ありのままでいい」「やりたいことだけやればいい」という言葉がよく言われます。頑張ってがつがつ努力して、我慢して・・というのは一昔前の価値観で、もう古い、なんていう空気があるんですね。
「しゃかりきになって頑張らなくてもいいんだよ。ありのままのあなたで素晴らしいのだから・・」
確かに、それも一理あるんです。頑張りすぎてしまってうつ病になる方もいらっしゃいますし、自分を追い込んでしまうっていうケースだってあるのだから。ただそれは、自分の限界や適性を無視して盲目的につっぱしったり、過剰な義務感に苛まれていたり、といったような、ちょっと病的な「頑張り」かもしれません。
見落としてはいけないのは、健全な頑張りや努力は、何かを身に着けていったり、自分なりの課題を超えたり、何かの分野で成し遂げていくためには、必要不可欠だということです。ふわ~っと努力もせず、ただ流されるまま生きている人が何かを成し遂げた、なんていう話は聞いたことがありません。もしあったとしたら、本人がその努力を努力と思っていなかったってことでしょう。
人生の岐路にたち本当に好きなことを仕事にしていきたいと願うなら、その「好きなこと」をとことんやり尽くす勢いでやらなくてはいけないでしょう。好きなことをやるのは簡単でしょうけれど、それが人に認められて価値を生むためには、それなりのクオリティが求められます。それなりのクオリティを提供するためには、そのクオリティを生めるだけの技術や知識や経験値が必要です。逆境や、スランプを超えて、それでもやることを選択するだけの強さも必要でしょう。そんなレベルには、努力なくしては到達できません。
夢のようなことをぽかーんと考えていて、いつの間にかかなっちゃったってことはほとんどありません。夢を描いたら、それに向かって力を尽くしていかなければ、現実には一歩も近づかないのです。
「そろそろ頑張らなくていいよ、ありのままでいいよ」その言葉は、本気で頑張って頑張り尽くしたことがある人に対して、初めて言ってもいい言葉かもしれません。
バイロン・ケイティというアメリカ人女性が提唱している、ケイティ・ワークというのがあります。それは、例えば「彼は私を傷つけた!」「私は大事にされていない」といったような、自分が信じている思い(ビリーフ、信念ともいいます)に、「それは本当?」「絶対に本当といいきれる?」という問いを投げかけていくことによって、自分の持っていた思い込みから解き放たれていく、それによって真実を見つけていく、という探求のワークです。
このワークをやって起きることは、人によって違うとは思うのですが、究極は「世界は自分が思うよりも優しい場所である」ということにだんだん気づいていくというプロセスになっていくようです。
人は、自分が被害者であるという思いを握りしめることによって、他者を非難しつづけたり、自分が変わらなくてもいいという無力な場所にいつづけられてしまいます。だからこそ、真実を見つめることは、非難していた他者が非難できなくなる、自分自身にもどってくる、という意味では、見たくないし、勇気のいることかもしれません。
でも、ちゃんと見つめていくと、実は世界はもっと愛にあふれていて、自分次第でいろんな可能性がある場所なんだっていうことに目覚めていくことができるのだと思うのです。
誰かに傷つけられた、誰かのせいでこうなった・・という思いがある方は、一度、「それは本当?絶対に本当?」そして、もしその思いが自分の頭から消えてなくなったとしたら、一体どんな自分でいられるのか?気持ちは?行動はどう変わる?その時相手はどう見えるか?そんなことを想像してみるといいと思います。
ケイティワークについて、詳しくはこちらをご覧くださいね。
今日、いつもと違うことを何か一つでもやりましたか??
一日のうちにとる行動のうち、人はほとんどを「無意識でできること」にゆだねています。朝起きて、朝ごはん食べて、いつもの通勤電車に乗り、会社にいき、いつもの業務をこなし、またいつもの通り帰途につく。いったん行動パターンが出来上がると、特に何も考えなくてもその通りに動けてしまうし、そうなると楽だから、どんどん強固なパターンとして自分の中に植え込まれていきます。
なんだか生きてる実感がない、毎日が生き生きしていない、という方は、日常がこんな感じになってしまっているのかもしれません。つまり、「今」を生きる代わりに、過去に出来上がった「安全な」パターンを生きているのです。
分かりきった日常を生きるのはとても楽ですが、意識が死んでいきます。必要のないものは退化していくのが、生き物の定めです。そうなってくるとどんどん、危機感を感じたりチャンスをつかむことのできるセンスが退廃して「使えないもの」になっていき、人間力や感性の幅がどんどん狭くなっていきます。考え方が偏屈になっていきます(頑固で偏屈な方、いつも同じ場所にいたり、いつも同じ服だったり、いつも同じ行動パターンじゃありませんか?)
いつも生き生きしていたい、フレッシュな感性を持ち続けていたい、やってきたチャンスにちゃんと気づいて「幸運の女神の前髪をがしっとつかめる」自分でいたい方は、面倒でも、意識して行動パターンを変えてみましょう。会社に行くルートを変えてみたり、いつもより早く出社してみる、行ったことのない店にはいってみる、話したことない人に声をかけてみる・・こういう小さなことでいいのです。一日一つ新しいことをすれば、365日で、365の新しいことが体験できます。二つやれば、730です。一年で、全く新しいことをしなかった人と、730の新しいことを経験した人では、驚くほど感性がかわってくるでしょう。その積み重ねは人生の幅も大きく広げてくれるはずですよ。
「お金をかけるなら、洋服やコスメや、とにかく人から見えるところに投資しなさい、食べ物や人に見えないところはなるべくお金をつかわないようにして、見えるところにお金をかけなさい」、、そういわれて育ったという方がいました。
その方は、いつも素敵な服に身を包み、細部にまで気を使っていましたが、いつでもディスカウントストアで食品を買うのです。今どうされてるかはわかりませんが、最後のほうは、誰かにつけられてると言って、見えない何かに追われたようになっていました。どう見えるかを気にするあまり、心のバランスを崩してしまったのでしょう。
育ち方がどうであれ、見えるところにお金をかける、どう「素敵に見えるか」「幸せに見えるか」「立派に見えるか」、それにお金をかけるという発想は、わかる気がします。
でも、そう「見える」ことに成功しても、本当に素敵か、幸せか、立派か、は、まったく別の問題です。誰かが「あなたは幸せでいいわね」って思っても、自分自身の中がスカスカでは、逆に苦しくなるだけなのです。
では、本当に素敵で、幸せで、立派な人間になるにはどうしたらいいのか?・・それは、そう見えることを目指すのではなくて、本当にそうなるために、お金も時間も投資していくことだと思います。
今の世の中、一昔前に比べて、カルチャースクールや自己啓発をはじめ、何かを学ぼうと思ったら、より取り見取りなほど恵まれています。インターネットを使えば、最新の海外の情報だって入手できるし、それこそ海外へ行って何かを学んでくるのだって、アルバイトの給料だったとしても数カ月~1年くらいためれば何とか可能だと思うのです。つまり、ネットも何も普及していない一昔前には習得するのに10年かかったことを、今は1年くらいで習得できてしまう、それだけのチャンスがあるっていうことです。
まずは、今はそういうチャンスに恵まれているのだっていうことを知ること。そして、見えるものよりも、自分自身の中に蓄積されて、本当に自分自身の幸せや自己実現につながることに、なるべく時間もお金も投資していくことだと思うのです。
目に見えるものは、いつかは劣化していきます。お金や財宝なら、泥棒が盗むこともあるでしょう。でも、内側に蓄積したものは、経験を経て輝きを増し、なおかつ誰にも盗まれることはありません。ある程度蓄積したなら、今度はそれを、誰かに教えたり役立てたりすることだってできるでしょう。
投資をするのなら、目に見えないところ。どう見えるかよりも、本質的なことを大事にする。いったん大人になったら、自分を成長させ磨けるのは、自分の手でしかないのです。
他人と比較して、自分はまだまだダメなのだ、といって劣等感を抱く。
これは辛いことでもありますが、劣等感を抱くことを、無意識理に、自分が前に進んでいくためのエネルギーに変えている、という方も時にいらっしゃいます。
そういう方の場合、劣等感を取り除こうとしても、拒否してしまったりします。つまり、それがなくなってしまうと、自分がもう前に進まなくなってしまうのではないか、という恐れがあるのです。。人間って面白いですよね。
もちろん、劣等感は、確かに、先に進むためのエンジンに使えます。劣等感を克服するという激しい悔しさのエネルギーを利用して、困難を乗り越えていく力にしているのです。それも大事なことではあります。
ただ、これをあまりにも乱用すれば、本人がつらくなってきます。人を見ては劣等感を抱いてしまってたら、心も荒んでいくでしょうしね(*_*)
こういう時、一番おすすめなのは、「劣等感を持ってるなぁ~」そして、「自分自身が前に進みたいというサインだよな~」ということに、その場で自分の内側に、ちゃんと気づいていることです。自分自身の、劣等感を抱いてる現場を押さえて、それに気づいてることが大事なのです。
ここでポイントは、劣等感を持ってる自分を「否定しないこと」。否定すると、よけい苦しくなりますから、ああ、あるよねぇ~って、軽く受け止めることです。
心がもやもやとしてきたら・・これは何だろう?ぜひ、自分の胸に問うてみてくださいね。劣等感にやみくもに巻き込まれてるのではなく、気づいてる自分がいれば(アウェアネスがある状態といいます)、自分がそれに毒されることなく、一つの力として、とても効率的に利用することができるのです。
自分自身について、どこまで想像できるか?それが、実際に自分自身の限界です。例えば、スポーツ選手でいえば、どこまでのパフォーマンスができる状態をイメージできるか。イメージができたら・・特にリアルにイメージできたら、その状態までは実現できるでしょう。
また、一般の方なら、自分がどんな状態で仕事をしている、どんな人になれている。どんな人たちと付き合っている・・・リアルにイメージできれば、そのレベルまではなれる、というサインです。
想像すると、実は、潜在意識がそれを「現実に起きたこと」ととらえます。潜在意識には、イメージと現実の区別はつかないのです。だから、イメージ通りになるように、無意識が自動的に働き始めます。よく、紙に、「実現してみたいこと」をリストアップして、1年後とかに読み直してみると、結構実現してしまっていた、ということが起きますが、それも同じ原理です。
逆に、もしイメージできないとすれば、少なくとも今の自分自身では、それは限界の向こう側にあるものかもしれません。自分自身、どこまでの姿を想像できるか。想像できれば、ちゃんと近づくことができる。ぜひ、自分自身に正直になって、どこまで想像できるか、やってみてくださいね。そして、想像する力をつけていくことは、現実的な限界を広げることでもあるかもしれません。
なかには、コーチに手伝ってもらって初めて自分自身の想像の枠を広げることができた、というケースもよくあります。想像力が乏しいなぁという方は、コーチや信頼できる友達に手伝ってもらってもいいと思いますよ!
結婚や、別れや、転職・・人生には岐路というべき時がやってきます。そしてよく、その岐路に立ち、えいやっと脂汗をかきながら決心をひねり出そうとすることがあります。崖から飛び降りるような、思い切った決心。もちろん、緊急を要するときは、それも致し方がない時もありますが、実は、自然な決心は「ひねり出す」ものではなく、ふーっと自然に腹から「湧いてくる」ものだったりします。
それは、意図的に起こす、というよりも、意図しないときに自然と起きてくる感覚です。何の力みもなく、「やっぱりこうしよう」そういう感覚がふーっと湧いてきます。
大きな決断を前に、脂汗を流すガマのカエルみたいに身動き取れなくなっていたとしたら、まだ決める時ではないのかもしれません。まだしばらく、悩んで迷うところにいる必要がある。悩みや迷いは、新たな道を生むとても豊かで大事な時間です。
生き物が死を迎えるのに、徐々に老いていくプロセスがあるように、思いや選択にも、生命のようなものがある。だから、手放すものが自然に死を迎え、新たな道の命が芽吹くタイミングを大事にする、それが自然な決断だと思うのです。
人は往々にして、外側にいる人の目から物事を見ていたりします。自分がどう思うか、よりも、人がどう思うか、人からどう見えるのか、を選択基準にしてしまうのです。
日本は、場の空気を読んだり、人の気持ちを慮ることを求められがちな文化です。だから、自分が何を言ったり、どう行動するかは、自分の気持ちを軸にするよりも、場が何を求めてるかを軸にして、それを優先させがちなのです。
「答えは自分のなかにある」・・は、コーチングでよく言われる言葉ですが、日本人の間では、答えは場の空気にある、というほうがしっくりするのかもしれません。こういうスキルもやっぱり、日本人同士で生きていくなら、なんだかんだ必要なことだと思うのです。
ただ、自分自身の人生の岐路や、いかに生きるか、本当に自分にとって大事なことを考えるときは、視点を自分自身に取り戻してほしいのです。誰かがあなたに求める人生じゃなくて、自分が自分に求める人生を歩まないと、本当に充実した人生からは遠くなってしまいます。生きてる実感を得にくくなります。
視点が外にいくのは、かなり無意識的で自動的になってる方がとても多いので、ちゃんと自分なりに意識して、自分はどう思うのか?自分は本当はどうしたいのか?そこと向き合うのがいいのだと思うのです。それが、自分の人生を、自分の手に取り戻すということだと思うのです。
心が育つ・・それは、いろんな意味があると思いますが、一つには、『いろんな自分がいることを、認めて抱えられるようになること』です。
例えば、ある人を前に、「嫌い!」って思う自分もいる、「相手の顔を立てたい」と思う自分も、「嫌うなんてよくない」って思う自分も、いろんな自分が出てくる。それらを批判することなく、『あー、こんな自分も、こんな自分も、いるよねぇ、」、それを泰然と受け止められる自分でいられるようになるっていうことです。
自分の中にいろんな自分がいていい、それを許して認められると、ゆったりと構えられるようになる。時に葛藤はあるでしょうけれど、ゆったりと構えながら、地に足がついたところから、行動選択していけるようになってくるのです。
どっしり、おおらかに、自分の中のいろんな自分を受け止められるようになると、今度は、いろんな、異なる意見をもつ他人を否定せずに受けとめられるようにもなってきます。そう、受け止める力は、内も外も連動しているのです。
こういう人は、そばにいて、とても安心するし、心地いいです。人から好かれるし、異性にももてると思います。。まぁ、副次的ですけど。でも真実でもあります。
人に好かれたいなら、まずは自分の心を育てる。ぜひ意識してみてくださいね。
理不尽に怒りを爆発させる方って、大人の世界でもいらっしゃると思うんですね。爆発までいかなくても、小出しに怒りを出していたりとか、控えめながら、ずーっと不機嫌でいたりとか。
怒りにもいろんな怒りがあるのですが、なかには、「赤ちゃん返り」の怒りっていうケースもあります。
どういうことかといえば、赤ちゃんって、自分で自分の空腹や不快感を処理することができません。そういう時に不機嫌になって、爆発させてオギャーと泣くことで、お母さんに不快感を取り除いてらうわけですね。
大人の方で、ガーっと怒る、不機嫌でいることは、人によっては、無意識に誰かお母さん的な存在に、何とかしてもらうことを期待していたりします。困ったことが出てきたときに、不快感に耐えたり、自分で考えてなんとかする力がない。だから誰かに何とか助けてほしい、それを成長した人として言葉で表現したり頼んだりっていう方法をきちんと学べていないから、赤ちゃん返りして怒りで表現するわけです。
困った→立ち止まって状況を理性で考える→適切な行動をとる→問題を解決する
というプロセスが、
困った→怒る→誰かが助けてくれる→問題を解決する
っていう、自動的にかなりのショートカットになってるわけです(笑)これ結構無意識でやってますので、自分自身が怒ってる時に、あれ?もしかして?って、ちょっと疑ってみるといいかもしれません。クレーマーなんてこういう意識の強い方結構いるんじゃないかしら。
怒りは、他人をフリーズさせ正常な判断を失わせる力すら持っていますから、それを人にされたら、ああ、なんとかしなきゃとなって、怒ってる人の意図通りに動かされてしまうってこともあるでしょう。
怒ってる人をみたら、ちょっと冷静に立ち止まってみる、もしかしてこの人は赤ちゃん返りしているのかもしれない・・あるいは、自分の怒りは、お母さん的な存在に助けてもらいたい怒りなのかもしれない・・そんな視点をもてたら、その怒りからすっと距離をとれて、あらためて、大人としてどうしたらいいのかを考える余裕に繋がるんじゃないかと思いますよ。
赤ちゃんだと思えば、怒りっぽい上司も、ちょっと違う目で見られるかもしれませんね。
よく、「心の声を聞きましょう」とか、「内なる声に従いましょう」とか言いますよね。でも、ワタシ結構これ、現実にはそれなりに難しいんじゃないかと思ってます。
なぜかというと、内なる声、心の声は、まず、もともと声でもなければ言葉にもなっていない「エネルギーの波のようなもの」、な筈だからです。それを、頭が言葉に翻訳してるわけですね。
たとえば、ドキドキハラハラするような状況で異性と一緒にいると、心臓がドキドキバクバクして、それを頭は、その異性に恋をしているのだ、なんて翻訳してしまいまったりします。本当は危険を感じるような状況に体が反応しているだけなのに(スリリングな状況で恋に落ちた相手とは長続きしないという話はよく聞きますよね?)。翻訳家の仕事だったとしたら、誤訳もいいところですよね。
何かに対するアディクション(中毒)がある方は、本当の心が求めてるのは愛情だったりしても、感じた心の声を、「たばこが吸いたい」「お酒が飲みたい」「食べたい」に翻訳しちゃったりするわけです(ひどい翻訳!)。アディクションまでいかなくても、こういうことって日常よくあることなのです。
まず、感じてるものを変換する前に、本当にそうなのか、しっかり注意深く意識をむけてみる。微細なエネルギーを味わい、感じ取ってみる。そこから、心が本当に言いたいことはこうかな?ああかな?って翻訳してみる。心の声をちゃんと聴けるようになると、人生がもっとシンプルで力強くなっていくでしょう。
心の声、内なる声の翻訳スキルアップ、ぜひ試してみてください。それはより自分自身と向き合う大事なステップの一つですよ。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、辛い時間は途方もなく長く感じる。これはどなたもが経験している感覚かもしれませんね。
何かに夢中になって楽しんでいる、今ここに100%集中できていると、時間感覚がいつもとすっかり変わる。時間のたつのを忘れ、普段自分を追い立てる雑念もなくなります。この状態は、フロー状態とか、ゾーンと呼ばれていたりします。すごく意識がすっきりしていますので、通常の状態よりもパフォーマンスがぐんと上がります。だから、あっという間に感じたとしても、その時間の質はとても高いのです。そして、なんといっても、この状態は「幸福感」に満たされる。
フローについての研究で有名なチクセントミハイ博士によると、フロー状態に入るための条件のひとつは、いつもよりもちょっと高いハードルがある、チャレンジングな状態であること、なのだそうです。人がなぜ、何か達成したい目標を描いて進むのか、何かにチャレンジしたくなるのかといえば、その本質にはこういったものを通して幸福感を求める、人間の本能があるのかもしれないなぁと思います。
自分なりの、ちょっと高めのハードルをおいて、「よぉし、やるぞ!」
それは、幸福感に包まれたフロー状態への入り口。人生って、いわずもがな「生きてる時間の長さ」です。だから、その時間の質を上げていくことが、ダイレクトに、人生の質を上げていくことです。フローは、よい人生を送るための一つの鍵なんじゃないかと思います。
最近はよく「お金のブロックを外す」とかいったようなものをよく聞きます。自分が豊かになってはいけないという思い込みが、お金を阻害しているんだ!という考え方です。しかし、これまで莫大なお金に恵まれてきたような方々、たとえばビルゲイツや、松下幸之助や、他にもたくさんいらっしゃると思いますが、そういった方々が、お金のブロックを外すワークに取り組まれていたでしょうか?きっと、そんなことよりも、まずは自分がいかに世界に貢献できるのか、自分の才能やリソースを生かしていかに人を幸せにできるのか、世界を一歩前に進められるのか、そこに情熱を注いだはずです。
お給料は、我慢料だとも言われますが、いかに自分が世界に貢献したか、人を幸せにできているか、のバロメーターの一つです。「一つ」といったのは、必ずしもお金という形で戻ってこないものもあるからです。
お金で安心したいなら、自分がいかに人の役に立てるか、世界に貢献できるかを考えるのが先だと思います。もしも、人の役に立てるほどのものが今ないのなら、それを身につけるためにあれやこれや努力をしてみるといいのだと思います。それは何の努力もせずにブロックを外すことではありません。
老後のことを心配している、というテーマを持つ方もいらっしゃいますが、いかにお金を貯めておくか、を考える前に、いかに役に立ち続けられる自分でいるかを考えたほうがよっぽど安心だと思うのです。年をとっていくと、肉体的には劣ってきますから、働き方も変えていかなければいけないと思うのですが、肉体が衰える代わりに、それまで蓄積してきた知識や知恵が生きてきます。いかにそれを蓄積するか、素敵で人に役立つお年寄りになれるか、それを考えていくとおのずと今やることが見えてきます。それは、やたらとお金のブロックを外すとか貯蓄することに腐心することではないはずですよ。
日々、色々な方々のテーマを聴いたり(それは長年のもの、幼少期からずっとのもの、トラウマのように心に貼りついたものなど様々・・)していますが、本当に大変なものを抱えて生きている方が多いなぁと思います。客観的な事実の大きさというよりも、その方の主観的なところで、ほんとうにぎりぎりに頑張って、辛い、大変なことを抱えながら生きていらっしゃるのです。
他の誰かに話したところで、その辛さは理解してもらえない。なぜなら、客観的な事実じゃなくて、その方の主観的なスケールでの話なのですから。
だから、そういったことを抱えて、背負いながら、「これは大したことじゃない」そう心のなかで言い続けて生きてこられている。これでは余計辛いです。
人の「心の器」は人によって違います。ある人にとって辛くなくても、ある人にとっては猛烈に辛い。そういうものです。だからその方の主観での感覚をじっくり分かってもらえる必要があるのです。
多くの場合、そういったテーマ、そしてそのテーマの背景など、じっくりじっくり聴かせていただいて、本当に自分にとってつらかった、大変だった、悲しかった、それをじっくりと共感していくと、ただそれだけでも、その方のもっていた負のエネルギーが浄化していきます。「やっと、わかってもらえた」それだけで、そのエネルギーは役目を終えて、あらかた消えていくのです。まるで、癒されない存在が成仏していくように。本当に未来のことを建設的に考えられるのは、そこからです。
長年背負ったもの。頭では「大丈夫」と思いつつも、常に何か負の感情や感覚がとれないのなら、一度コーチやセラピストにじっくり聴いてもらうといいと思うのです。それだけで、かなりすっきりします。オーラが変わります。
人に分かってもらうことの癒し効果は、あなどれませんよ。
第三の目。こういうと、なんだか怪しげに聞こえるかもしれませんが、古くは宮本武蔵が「観の目」と言ったり、最近でいうと、映画「バケモノの子」で、「心の中の剣」と言われてたものも、そうじゃないかと思います。いわゆる、心の中に、もう一つの目を持つこと。自分に起きてること、相手に起きてること、その場で起きてることなど様々な「今」を、俯瞰して心で感じ取ること。それらをしっかり意識のどこかで「モニター」できていること。心理学でいうとアウェアネスといったりしますが。それが、第三の目を開く、ということだと思っています。
第三の目が開いていくと、次第に良質な直感や鋭いインスピレーションが下りてきやすくなり、高い視点で物事をとらえることが出来てきます。経営をする方なんか特に、頭で考えているだけだと限りがあるので、第三の目が開いてくると、実はずいぶん楽なのではないかと思います(名経営者といわれている方の中には、使いこなしている方も結構いるのではないでしょうか)。
どうやったら開くのか。いろんなメソッドはあるのでしょうけれど、私は、自分なりに「こんな感じかな?」って、いろいろ意識のなかで試してみるといいと思います。人から教えてもらうのではなくて、自分の感覚で試しながら見つけ出す、探し出す。そのプロセスが大事だし、その結果得られたものがきっと一番正しくて、役に立つ。
コーチングでも、熟練したコーチは第三の目をしっかり使います。そこからやってくるフィードバックが、クライアントさんにとって、とても良いヒントになってきます。また、コーチングを受けながら、第三の目が開発されてくることもあると思います。
ぜひ、自分なりの「第三の目」を探し当ててみてくださいね。
嫉妬心は誰にも起こります。身を焦がすほど苦しくなりえる感覚でもありますし、嫉妬心を向ける相手を攻撃したくなる、そんな気持ちになることすらあります。
一般的には悪感情とされる、そんなやっかいな嫉妬心。いっそのこと起こらなければどれだけ楽になることか!そう思う方も結構いるのではないでしょうか(私自身の経験から言っても、そうです・・)。
でも、人の心に不必要なことは起こりません。嫉妬に振り回されるのではなくて、嫉妬が自分に何を教えたがっているのか?嫉妬が伝えたいメッセージを考えていくといいと思います。
嫉妬は、自分が欲しいものや、自分にとって大切な何かを、他の誰かが所有していると起こります。だからこそ、感情としては、誰かに自分のものを奪われた、という悲しみや、怒り、取り戻したいという攻撃心に変換されやすいのではないかと思います。
つまり、嫉妬心の先には、自分がいま何を大事だと思っているのか、本当に欲しいと思ってる何かがあるのです。それを見つめてみましょう。
嫉妬心の向かう先が、例えば特定の人物だったりする場合は、その人物の何に嫉妬してるのか、どんな要素に最も心が反応するのか、要素に噛み砕いて整理していくといいと思います。
人によっては、美しさだったり、賢さ、豊かさ、いろいろあると思います。そして、さらに、それがどんな美しさなのか、どんな賢さなのか、どんな豊かさなのか、さらに細かく噛み砕いてみる。そうすると、自分自身が生きていくうえで、本当は何を大切にしているのか、何を身に着けたい、手に入れていきたいと思っているのか、その方向性がわかってきます。あとは、その「自分にとって大切な何か」を、自分なりに身につけたり磨いていく努力をすればいいのだと思います。この時点で、嫉妬心が自分に伝えたいことはだいたい伝わったと思うので、もはや必要のない怒りや攻撃心は収まってくる筈です。
嫉妬も生きる方向を教えてくれる、大事なメッセージ。ぜひ、有効に使ってあげてください。そうは言っても一人でやるのが難しい方は・・コーチと一緒に見つめてみてくださいね。
やたらと人と比較して、劣等感を抱いてしまう。そんな感覚をもっていることって苦しいし、劣等感を抱いている自分も情けなく感じる・・そういうことってよくあると思うのです。
ただ、劣等感を抱けるのって、実は・・ひとつの「才能」でもあるのです。なぜなら、劣等感を抱くためには、まず、他人の優れたところ、素晴らしいところに気づいていなければいけないから、です。つまり、他人の素晴らしいところに気づく才能がない人は、劣等感を抱くことができません。
やたらと劣等感を抱く人は、まず、その才能を持っていることに気づくといいと思います。そして、その才能を、今は自動的に他人と自分と比べ、自分自身を苦しめるために使ってしまっているのかもしれませんが、人に素直に「それいいね」って褒めるために使ってもいいし(人間関係よくなり、好感度もあがるでしょう)、自分を向上させるためのお手本にする(自分自身の人間力向上の糧になるでしょう)、ということも出来るかもしれません。その才能をどう使いたいのか、そこを改めて自分で決めたらいいのだと思います。
人のいいところに気づく、これってなかなか素晴らしい才能ですよ。だから、それをぜひ自分がこうしたい!と思う方向に使ってみませんか?
コーチとして、セッションを行う。そのために、様々なスキルはあるのですが、長年コーチをしていて、特に大事だなぁと思うこと・・それは、「腹」に意識を向けながら対話することです。
何のことやら・・って思われる方も多いと思います。私たちは通常、頭でものを考えていると思っていますが、実は、頭で処理する前に、どうやら「腹」とか、「内臓」で、様々な感覚を受け取っています。
誰かと話した時に、頭ではすっきりと理解しているにもかかわらず、なんだか胃が重たくなったり、きゅっと絞られた感じになったりすることってありますよね?
頭では分からない本当の相手の意図。それを私たちはきっと腹で受け取っています。だから、本当に相手にとっての真実を見つけていくために、コーチは腹で対話することがとても大事だと思っています。
相手が、本当に心の底からの真実を語っているとき。それは腹の底からなにか感動に近いような感覚がわきあがってきますし、実際に鳥肌がたったりします。
逆に、頭だけで何かを語っているとき、腹はあまり反応しないものです。
これは、コーチングだけでなくても、人とのかかわりの中で、とても役に立つ感覚だと思います。そして、この感覚を体得していくと、自分自身がとてもグラウンディングしていきます。自分軸を自分の中に感じやすくなるのです。
「腹」に意識をして人と関わる。。ぜひ、役立ててみてください。
コーチをしていてよく思うのが、自分自身の思いを、普段から誰かに理解してもらってない人が多いなぁ、ということ。そして、どうせ自分のことは理解なんてしてもらえないだろう、と、どこかであきらめている。だから、差しさわりのない、毒も栄養もないような、表面的なことしか普段言えていない。その場や相手に合わせて、とても浅く表層的なコミュニケーションしかとれていないのです。誰かと話した後で、「なんであんなこと言っちゃったんだろう?」・・後悔したり、反省したりすることがよくある方は、こんな浅いコミュニケーションスタイルになっている可能性が高いと思います。
これを続けていくと、なんだか自分が自分でないような、とてもふわふわした自分しかもてなくなってしまいます。。思い当たる方、いませんか?
コーチングでは、じっくりとコーチが向き合って、どんなに些細なことでも、またはどんなに重たいことであっても、聴いて受け止めます。
もちろん、最初は本当のことが言えなくてもいいのです。でもコーチに聴いてもらいながら、徐々に、本当の思いを少しずつ口に出して言えるようになってくる。それを一つ一つ受け止めてもらうなかで、どこかであきらめていた、本当の自分を取り戻していく。自分は自分であっていい、と、コーチと対話しながら思えてくる、腑に落ちてくる。
自分が自分でいていい、腹の底からそう思えたとき、本当の自分らしい人生が始まるのだと思います。
人は誰しも、天命ともいうべき、魂の願いを持って生まれてきていると思っています。そして、もしも「これが天命だ」、と納得し腑に落ちた道を歩めたとしたら、それはきっと、それ以上ないくらい充実感に満ちた人生になっていくでしょう。
ただ、悲しいかな・・ほとんどの方が、自分の天命が何かわかっていません。少なくとも、意識的には。せっかく「これをやるぞ!」と決めて生まれてくるのに、です。いざ生まれてしまうと、覚えていないのです。全員が覚えていれば、迷いなくそれだけをやっていられるのに・・おかしいですよね。
でも、覚えていない、忘れてしまう、ということには、実は大きな意味があると思っています。なぜなら、覚えていないからこそ、思い出すためにあれこれ迷いながら挑戦してみたり、天命を生きていないことの息苦しさを知ることができます。図らずも魂の「想定外」を経験することで、学びが格段に加速し、経験値が広がり、その人生を通して魂が一回りも二回りも成長することができる。。もちろん、仮説ですが、私はきっと、そういうことなんじゃないかなぁと思っています。
一番大事なことだからこそ、一度忘れて、もがきながら思い出す。そのプロセスが、人をより成長させ、人生を豊かにしてくれるのだと思っています。
たとえば、一番好きな人に好きということ。たとえば、好きな人と関係性をつくること、触れ合うこと、信頼しあうこと。たとえば、好きなこと、本当にやってみたいことに一歩踏み出すこと。挑戦してみたいポジションを希望すること。
人は、本当に心から望むことが叶わない、という事態を恐れます。本当に望むことがかなわないことは、耐えられないほど辛いからです。だから、本当に望むことは、避けてしまいがちです。踏み出す前からあきらめていることもあれば、それを想像することすら封印してしまっている、なんてこともあるでしょう。
そして、二番目、三番目のベストで納得している。人生なんて、こんなものだって。。。思い当たることはありませんか?ぜひ、自分の胸に聞いてみてください。今の幸せは、一番望むことでしょうか?それとも、二番目、三番目の選択肢でしょうか?
一度きりの人生を、後悔せずに生ききるためには、自分が避けているものを見つめる必要があります。自分についている嘘を、見破る必要があるのです。
さて・・あなたは、自分の真実を生きられていますか?
例え同じ程度の能力であっても、可能性を信じてもらい、誰かが期待をかけた人と、期待をかけられなかった人、もしくはダメ出しをされた人では、出してくる結果が違う、という効果を知っていますか?心理学ではこれを、ピグマリオン効果といいます。
量子力学では、科学者の意識が、実験の結果を左右するとされていて、それもピグマリオン効果と、何か共通するものがあるのかもしれません。
誰かが自分を応援してくれたり、期待してくれること、自分のために思いを寄せて祈ってくれること。それが自分が進んでいくために、大きな後押しのエネルギーになる。これは科学ではまだ目に見える形では実証はされていないのかもしれませんが、間違いなく、私は、あると思っています。
自分自身が何かを目指して進もうと思うとき。もちろん大事なのは自分自身の意思の強さですが、そこに、応援してくれる人のエネルギーが重なることで、進み方は格段に早まります。コーチングは、答えを見つけることのサポート以上に、「コーチに応援してもらう」ということが重要な要素。
本当に達成したいことがあるのなら、自分の力だけじゃなくて、応援者を得て進む、それがより効果的なんじゃないかと思っています。進みたい道がある人は、本当にそれを実現していくために、ぜひコーチに力を貸してもらってみてください。自分自身の人生をより充実させ喜びに満ちたものにしていくために、です。
他人に振り回されず、自分軸でしっかり生きていきたい!そういう方は結構いらっしゃいます・・・ということは、他人軸で生きてしまってる方が結構いるということですね。
なぜ他人軸で生きてしまうのか・・・それは、多くの場合、外にある正解を求めてしまうから。人によって「正解」が、「誰かが喜ぶこと」だったり、「自分が恥をかかないこと」だったり、「人よりも自分が頭一つ出てる」と、違いはあるのですけどね。
正解が何であれ、それでは常に、他人に振り回される結果になってしまいます。
「あんなこと本当は言うつもりじゃなかったのに・・・」人と話した後にこんな「一人振り返り」をして人知れず反省したり、自己嫌悪に陥るっていうケースも結構あるでしょう。
では、その他人軸から、自分軸に変えるにはどうしたらいいのか・・方法はいろいろありますが、お勧めは、どんなことでもいいので、「自分で決めること」そして、「自分が決めたことは、たとえ辛くても、面倒でも、しっかりやりきること」を、しばらくトライしてみることです。
自分で決めたことをやりきること。その体験を積み重ねるなかで、自分自身に対する信頼感が増してきます。体験として自分を信頼できるようになってくると、だんだん信頼できる「自分軸」が育ってきます。
コツは、考えてるだけじゃなくて、ちゃんと行動でやってみることです。やったつもりじゃなくて、やりきること。この繰り返し。
とても地道な作業かもしれませんが、これはある意味、自分育てでもあるのです。自分で自分を育てる、そんなイメージです。あなたの自分軸を育てられるのは、自分自身しかいないのです。
コーチングは、自分の内側に「答え」をみつけていくセッションです。
普段私たちはどうしても、普通はどうなんだろう?他の人はどうなんだろう?って、外側に意識を向けがちだったり、思い込みや無意識の前提条件のなかで、窮屈に生きていることが多いですが、そんなとき、「自分は本当はどう感じてるんだろう?」・・自由に、枠を取り払って自分自身の内側に意識をむけていくと、自分にとっての本当の答えを見つけることができます。
そして、この、自分の内側に答えをみつけていく感覚、私はとても「瞑想」に似ていると思っています。
セッションが終わったとき、自分のなかが統合されて、静まり落ち着いている感覚。答えをみつけた安心感や、頭と心と体が統合されたような感覚を味わうのです。
瞑想の習慣がある人は、仕事のパフォーマンスも高い、というのは科学的にも言われているところですが、瞑想を習慣化するのが難しい方は、定期的にセッションを受けて、コーチに手伝ってもらうのも、ありだと思います(誰か相手がいると習慣ってつくりやすいものです)。
本当に大げさな話ですが・・コーチングをうまく人生に取り入れていけば、自分にとってよりよい生き方ができるだけでなく、心や体のコンディションもよくなって、結果として、健康度があがるのではないかな・・そう思っています。
(実際、私自身、コーチングにかかわるようになって、ほとんど風邪をひかなくなりましたし・・・)
「自分のことは自分で全てなんとかしなきゃいけない」「自立しなきゃいけない」「甘えてはいけない」・・!!
そう思いこんで、なにもかも背負い込んで、自分で自分の首を絞めてしまう人がいます。
自分のことは自分でなんとかできる、自分で解決できる、それが大人なのだと。
でも、本当のところは、人にはそれぞれ、まるで指紋のように個性的な「強み」と「弱み」のコンビネーションがあります。
だから、自分で全てできなくてもいいのです。凸凹があるから人は調和できるのです。
本当に自立している人というのは、実は、自分で全てが出来る人ではなくて、他人にちゃんと頼ることが出来る人です。
できないことや、苦手な部分を、誰かにお願いする。頼る。甘える。
それは「弱さ」ではなくて、「強さ」です。
そして、誰かから甘えられたことに、答えてあげられるのも強さだし、それが自分にとって難しいなら、NOという事も強さです。
そう、本当に自立した大人とは、自分を大事にしながら、頼り頼られ甘える強さを持っている人なのだと思います。
・・・あなたは、うまく甘えられてますか?
ちょっと想像してみてください。今、本当の自分は、晩年で死に瀕していたとしたら。そして、神様に、「おねがいだから、人生の、『あの時』に戻してください。どうしてもやり残したいことがあるのです!」
そういって懇願して、戻ったところが「今この時」だったとしたら。あなたは、何をやり残したから戻ってきたのだと思いますか?
今、意味があって、もう一度この時代をやりなおしてるのだとしたら・・何をやり直したいのだと思いますか?
未来から見たときに、今というのはもしかしたら、かけがえのないチャンスがある時かもしれません。年老いたとき、神に懇願してでも、なんとしてでも戻りたい時かもしれません。そんな目で一度、「今」を見つめなおしてみませんか?
突然ですが・・今、あなたの身の回りにあるものを見回してください。もし、家の中にいるとしたら、家具や、部屋の作り、壁の色、筆記用具やコーヒーカップなどが目に入るかもしれません。
そこで、ちょっと考えてみてください。それらの「目に入るもの」は、もともと何処からやってきたのでしょう?
もちろん、家に来る前はお店等にあったし、その前は工場などからやってきたかもしれません。工場で作られる前は・・きっと、誰かがデザインしたり、構想した段階があったと思います。
つまり、今身の回りにあるものは全て、もともとは誰かの頭の中に、イマジネーション(想像)として生まれたもの。それが、時を経て、人の手を介して、具現化したものですよね。
つまり、(創造)の前にかならず(想像)があるのです。
だから、望みの人生を生きたい、希望の人生をクリエイト(創造)していきたいと思うなら、まずは「想像」してみることから全てが始まります。
3年後、どんな未来を生きていたいですか?
5年後、どんな自分になっていたいですか?
こんな問いをコーチングですることがありますが、これは決して、夢物語を語って気持ちよくなったり現実逃避をしている訳ではなくて、未来をクリエイト(創造)する、確実な第一歩なのです。
そう、「未来は想像から始まる!」・・最終的な「創造」には、それなりに時間がかかったとしても、「想像」は、どこにいても、どんな時でも、今すぐできるものです。
だから早速、たった今から想像を初めてみませんか?
仕事の業績をあげたい、上司とうまくやりたい、目標を達成したい。。様々な希望はありますが、時に、この発想の裏には、「業績を上げなくては自分はダメになる」「上司とうまくやれない自分はダメだ」「目標を達成できない自分は価値がない」・・などの、恐れが元になっていることがあります。
そんな自分になるのが怖い。だから必死に頑張りたい。。つまり、自分の価値と、目の前の課題が一体になっちゃっている。
こういう場合、目標を達成しても、あんまりハッピーじゃないかもしれません。なぜなら、次にはもっとうまくやらなくてはならなくなるし、そこからまた後退しないよう、さらに頑張らなくてはならない、そう思うようになる可能性があるからです。
業績をあげられなくても、自分はOKなんだ。上司とうまくやれなくても、自分がダメなわけじゃないんだ。目標達成できなくても、自分の価値がなくなるわけじゃないんだ。
まずは、自分が今「こうしなきゃ!」と思っている課題と、自分自身の価値を切り離すことが大切です。失敗=自分の価値がなくなることではありません。これは、本当にね。
そして、その切り離しができると、実はもっと地に足がついた安定した状態で、あらためて目標にむかえる、一段しっかりした自分になれるのだと思うのです。
コーチングでは、「腑に落ちる」という状態を大事にします。なぜなら、「腑に落ちる」とは、頭だけでなく、心も、体も(もしかしたら魂レベルも)含めて、”同じ方向を向けている”状態で、この状態になると、当たり前のように現実に向かって進み始めることができます。それは、もっともその人にとって楽に力がでる状態。場合によってはソワソワと行動せずにいられない状態、そして、そのプロセスを喜んで進められる状態かもしれません(個人差はあるでしょうけど)。
多くの場合、私たちは、腑に落ちるまで考えることや、つきつめることをしません。それをすることは、自分にとってどんな意味があるのか、やりとげるとどんなメリットがあって、人にどんな影響を与える可能性があって、その後の人生にどんな道筋をつけていくのか。そういったことを、腑に落ちるまで内省し、つきつめる。腹の底から、YES!という声が聴こえてくる、力が湧いてくる感覚になるまで、です。
もちろん、直感で動く!という方も多いと思いますが。直感が来て、さらに腑に落ちる状態だと、かなりバランスが取れながら進めるのではないかと思います。
ぜひ、ヒントにしてみてくださいね。
「自分の天職は何だろう?」そう思って、迷われる方、結構いらっしゃいます。
今の仕事が天職ではない。人生を打ち込んでやる仕事ではない、それは分かってる。では、自分の天職は一体なんなのか?・・・迷いながら探す、転々とする、ということも、アリだと思います。でも、天職って実はそれほど「ぱっと見で」分かりやすいものではないのかもしれません。
ついこの間まで、教師が天職だと思っていたけれど、どうももう少し違うことらしい・・進んでみて、魂を込めてやり込んでみて初めて、自分の天職と感じるか、感じないか、そのフィット感が分かってきます。
そう、「やり込んでみて初めて」・・です。
全てをやり込むわけにはいきませんから、ある程度は自分なりに「あたり」をつけていく必要があります。つまり、「仮決め」です。
仮決めで進んでみて、違うなと思ったら、どこがどう違うのか、もっとどんな要素があったら、自分にとって「天職」と感じられるような喜びを得られるのか、その微妙なところもわかってきます。そうすると、さらに一歩、天職に近づきやすくなるでしょう。
だから、「仮決め」でいいのです。今、仮決めしたいことがなければ、今やっている仕事を、とりあえずは「自分の天職かもしれない」と仮決めして、魂を込めてとことんやり込んでみたらいいと思います。そこから、本当に天職だった!と思えるかもしれませんし、違っていたとしても、何があったら天職か?が分かってくる。
ぜひ、「仮決め」して、やってみてください。
ある日突然襲ってくる病魔。事故。人間関係の破たんやトラブル。起きたときには運命じゃないか、避けられなかったんじゃないか、などと感じてしまうこともあるでしょう。
面白い法則があります。「ハインリッヒの法則」と言われています。一つの大きな事故が起こる前には、29もの小さな事故があり、さらにその背景に300もの異常があるのだということ。
つまり、大きな事故は、突然起こるのではなく、かなり膨大な前触れがある。だから、小さなことに気づいてその都度対応したりケアしていくことで、防げる何かだったりするのです。体も、日々の小さな異常に気づいてケアしてあげる(疲れたら休む、深呼吸する、たまった感情を解放する、冷えたら温める)と、大きな病気を防ぐことができます。人間関係も、日々のちょっとした挨拶やコミュニケーションを大事にすれば、大きなトラブルには繋がりにくいものです。
小さなことに気づくためには、「今にいる」ということがカギになります。意識が未来や過去に囚われるんじゃなくて、「今ここ」をちゃんと体験していること。今の自分の心や体、今起きていることに気づくような意識の状態でいることが大事です。そうすることで初めて、小さなことに気づける、「丁寧なありかた」になれる。今ここにいて、丁寧なあり方でいられると、それだけで心が落ち着きそうですよね。
小さなことに気づいていくと、徐々に劇的なことが起きなくなってきます。まさに、運命を変えることに繋がっていく、・・そういうカギになることなのです。
物理的な体が、物理的な食べ物や栄養で育つように、目には見えない「心」は、物理的ではないもので育ちます。
それは、一つ一つの経験であり、体験。それを通してどう感じたのか、何を思ったのか。それが、心を形作っていきます。
そして、人の心が健康に育っていくためには、特に誰かの心が必要です。心は心によって育つのです。
自分が何をどう感じたのか・・それを、他者が感じとってくれる。そこからかかわってくれることによって、人は初めて、自分の存在、自分の大切さを知ることができる。
このプロセスは、特に小さな頃とても必要です。お母さんが、子供が感じてることを察してあげる、そして共感したり、ケアしたり大事にしてあげることによって、自尊心や自己肯定感が育ちます(女の人の感受性の強さは、まさにこのためのものかもしれません)。
ただ、悲しいかな、そんな育ち方が出来なかった人たちも沢山います。そうすると、健全な自己肯定感が育たず、自分をつい否定してしまったり、逆に他者を否定してしまったり、社会で息苦しさや生きづらさを感じてしまいます。(自分の感じてることを感じ取ってもらえなかったり、無視されたり否定されたら、自分が自分でいていいとは思えなくなりますよね)
そんな時は、もう一度、だれかの心で、心に触れてもらう、心で心に関わりなおしてもらうことで、育たなかった部分が育てなおされていきます。カウンセリングやコーチングやセラピーが、有効だと思います。自己肯定感は、ある程度大人になってからでも育てることができるのです。あきらめないでください。
これからの社会では、育たなかった心を育てなおす、という分野も、大事な分野になってくるのではないかと思っています。
人生で、これは「無理」と思って諦めていることはありませんか?
最初から、自分には無理だと思って、もしかしたらそれを考えることすら自分に許していないこと。自分の可能性の中には「無い」ことにしていること。
「無理」で、自分には、「無い」。それは、何かに取り組むことかもしれないし、将来の夢や、住む場所、働く会社、付き合うパートナーかもしれない。だからこそ、普段意識していないかもしれないし、それを考えると心が疼くので、考えないことにしているということもありそうです。
願いが強いことこそ、失う事は怖いし、ダメだったときの失望も大きい。だからこそ、無理だと思って最初からないことにしているとしたら・・・
「無理」と思っていることは、自分にとって何か強い願いが眠っている印なのかもしれません。
「無理」と思って諦めていることはありませんか?
そこは、あなたにとって、可能性の芽が眠っている場所かもしれませんよ。
やりたいと思ったことなのに、ずっとやらずにいることはありませんか?心はそれにとても魅かれているのに、面倒だったり、予定が合わなかったり、お金がかかるからと渋ってしまったり。
こういうことが人生に堆積していくと、日々が単調で重苦しく味気なくなっていきます。なぜなら、自分の中の何かにふたをする癖になってしまうから。
「やりたい!」と思った時、それに向けてすぐに行動する(予定表に書き込む、申し込む、すぐにやる、人と約束する、宣言する)と、出来ないと思っていた時間ができたり、臨時収入が入ったり、人とつながれたり・・不思議とそこに向かって流れができてきます。
そして、人生はそういうことをきっかけに、大きく流れが変わるってこともあるのです。「やらねば」は、頭の声、そして「やりたい」は、魂の声だから。
「やりたかったことを、今すぐに」
この小さな行動が、人生を変える一歩かもしれません。さぁ、あなたの、やりたかったことは、何ですか?
「嫌われてはいけない」・・この恐れは、割と多くの人が潜在的にもっているものです。
嫌われるのが怖いばかりに、いつもNOを言えなくなったり、周りの空気に流されてしまったり、不本意なことを言ってしまって後悔したり。嫌われることが怖いばかりに、自分らしくいられないことの窮屈さは、誰もが経験したことのあることかもしれません。
でも、現実を見つめたときに気づくのは、人の気持ちをコントロールすることは全くできないということ。どんなに丁寧に接したとしても、相手の機嫌が悪いこともあるでしょうし、相手が過去に嫌ってた誰かと自分が似ているという、いかんともしがたいこともあるでしょう(苦笑)。
自分が誰かに嫌われるということは、正直、避けられないことかもしれません。だから、全員に好かれなくてもいい。そして、自分自身も、全員を好きにならなくてもいい。
そういう自由を自分に与えてあげると、自分がとても楽になるし、なんといっても、より自分らしくいられることで、自分らしい魅力が強まっていく。結果として、(逆説的ですが)本当に自分を好きになってくれる人とつながることができたりします。
だから、あなたは「全員に好かれなくてもいい」。それでいいのです。
私たちの記憶は、「過去」しか知りません。だから、何か行動をしていくときには、いつも「過去はこうだった」というフィルターを通して未来を想定しています。
つまり、今見えている未来は、「過去」の投影っていうことになります。だから、過去に失敗したことがある人や痛い思いをした人は、未来に期待できなくなってしまったりします。それが、行動の選択をも左右し、実際に現実を作りだしていくと思ったら・・自分がどんなフィルターを持っているか・・・それはかなり重大なことですよね。
コーチングで対話をしていると、どんなフィルターがあるのかに気づいていったり、それを扱うこともありますが、そこから抜けて、想定内じゃない、本当の未来の可能性に開けていくためには・・ちょっと怖いかもしれませんが、いつもは乗らない流れに、想定を外して心を開き、身をゆだねてみるといいです。
それは、いつも断っている人の誘いかもしれないし、いつもは行かない場所やイベント、人々の集まりかもしれません。
まずは小さなことから。流れに身をゆだねてみると、想定していたことが、幻だったっていうことに気づいたり、思わぬ発見があったりしますよ。
まるで、クララが自分の足で立てることを発見するように。想定を外して身をゆだねてみませんか?それが、必ず、あなたの幅を広げ、未来の可能性を開いてくれますよ!
生きている中で、苦しいことというのは、無くなることはありません。それは、どんなに人間的に成長しても、無くなりはしないのです。体に傷を負うとどんな人でも痛みを感じる、それと同じことで。
ただ、その苦しさを、むやみに怖がったり、「あってはいけないもの」として否定する、目をそらそうとすると、実はその苦しみは無くなるどころか、往々にして強く大きく、しぶとく(苦笑)なります。苦しみに恐怖心がくっつくと、何倍も大きく恐ろしいお化けになるのです。
だから、お勧めするのは、苦しみを受け止めて、それが生まれてくる元をしっかりと見つめていくこと。
苦しみが生まれる元をしっかり見つめると、そこには自分自身が次のステージに進むための大事なヒントが隠れていたりします。もしかしたら、今の自分にはもう必要のない古い信念だったり、どこかで思い違いをしてしまった、現実離れした思い込みがあるのかもしれません。
そういったものを、目をそらさずにしっかりと見つめていくと、あらためて「どうありたいか」が見えてきます。それは新しい、成長したバージョンの、あなた。
こうして古いものから脱皮するように、少しずつ人は成長していきます。だから、苦しみは、いわば古い皮が窮屈だよ、というサインかもしれません。苦しみは、悪いものじゃなくて、多くの場合、むしろ感謝して受け止めていけるもの。もちろん、渦中にいる時はそう思えなくてもいい。いつか感謝出来る時が来る、それをどこかで知っていればいい。
だから・・苦しみを怖がらないでください。